映画感想:君の名は。 ~意志さえあれば~

ワクワクもんですね。 

光光太郎(@bright_tarou)です。 


 今回はV9を達成したMADなアニメーション映画 

 




のネタバレ感想を書いていきたいと思います。大分たっちゃいましたが、自分自身の気持ちを書き綴っていきますよ! 最初はグダグダ文句を言っていますが、後で盛大に手のひらを返します。



↓素晴らしいレビューの数々。作品を論理的に噛み砕いているので、分かりやすい内容を求める場合はこちらを読んだ方がいいと思います。


■あらすじと概要 

「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」など、男女の心の機微を美しい風景描写とともに繊細に描き出すアニメーション作品を手がけ、国内外から注目を集める新海誠監督が、前作「言の葉の庭」から3年ぶりに送り出すオリジナル長編アニメ。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」などの作品で知られ、新海監督とはCMでタッグを組んだこともある田中将賀がキャラクターデザインを手がけ、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などスタジオジブリ作品に数多く携わってきた安藤雅司が作画監督。主題歌を含む音楽を、人気ロックバンドの「RADWIMPS」が担当した。1000年ぶりという彗星の接近が1カ月後に迫ったある日、山深い田舎町に暮らす女子高生の宮水三葉は、自分が東京の男子高校生になった夢を見る。日頃から田舎の小さな町に窮屈し、都会に憧れを抱いていた三葉は、夢の中で都会を満喫する。一方、東京で暮らす男子高校生の立花瀧も、行ったこともない山奥の町で自分が女子高生になっている夢を見ていた。心と身体が入れ替わる現象が続き、互いの存在を知った瀧と三葉だったが、やがて彼らは意外な真実を知ることになる。声の出演は瀧役に神木隆之介、三葉役に上白石萌音。その他、長澤まさみ、市原悦子らが出演。(映画.comより引用) 



 ■最初にどう見たか 

私は新海誠の作品群を全く観たことがありません。以前友人たちが新海誠作品について「ストーリーはあって無しが如し。世界観が全て」と評していたこともあって、あまり興味を持っていませんでした。(しかし、ロボットアニメ好きとして「ほしのこえ」を知らなかったのは迂闊…)


それにも関わらず「君の名は。」を観たのは、何度も何度も劇場で流れていた予告に惹きつけられたからでした。あの予告は非常に良くできていましたねぇ…透明感と疾走感溢れるRADWIMPSの曲に合わせて美麗な風景とキャラクターがポンポン出てくるため、瑞々しい青春アニメ映画の雰囲気があります。また、超現実的な山頂や彗星が映ることで世界観やフィクションの幅が拡がるため、シンプルな青春映画でないことを予感させますね。


そしてシンプルながら思考にフックをかける「君の名は。」というタイトル。「。」が入っていることも気になりますが、何よりも「君の名は」という言葉ですよ。ただ名前を問うているだけなのに「君」と「名」とに神秘的な響きがありますし、尻上がりの発音になる「名は」には開放感を感じます。決して言いやすい言葉ではないですが、どうにも惹かれてしまいます。そして、神秘性と開放感というのは予告の雰囲気とも合致しているんですよね。





物凄いこじつけ感がありますが(笑)、こういった要素に惹かれて8月に鑑賞してみたんです。こっぱずかしくて幸せの波動に呑まれる恋愛映画、コロコロ表情が変わりダイナミックなアクションがあるであろうアニメーション映画、分かりやすいジャンル映画だと思って席に着いたのですが、これらを全て裏切ってくれました。キャラクターへの同調を誘い物語へ没入させてくれる映画だと思いきや、異なっていたんですねぇ…。  


確かに神秘性と開放感、瑞々しさなどの予告で感じた雰囲気はありましたが、期待していたジャンル的要素を感じることは出来ず、初鑑賞時はいったいこれは何を描いた映画なのかが全く分からなかったんですよ。面白いとも思えませんでした。自分が嫌いなはずの要素や歪んだ構成が色々見えてきたんですが、全く嫌な気持ちになることはありませんでした。考えども、嫌さや面白さよりも「何故?」が浮かんでくるので、この気持ちにケリをつけるためパンフレットを買い、楽曲を購入しました。しかし納得いく解答は見つけられず…。


 ここから、「君の名は。」について考え続ける日々が始まりました。  



■2カ月考えた

 ひとまず、自分に合わないと感じたところをまとめることから始め、通勤中通学中も「前前前世」を聴きながら考えた結果、次の3点になりました。

 ①RADWIMPSのミュージックビデオに見える 

②事務的に静的に展開する紙芝居のよう 

③青春と災害による物語の剥離 




①RADWIMPSのミュージックビデオに見える

 オープニングアニメに「夢灯篭」、入れ替わり生活で流れる「前前前世」、彗星接近時には「スパークル」、そして最後には「なんでもないや」と、107分の中でRADWIMPS の曲が4つもガッツリ流れるんですね。歌唱曲を劇中に流す演出は珍しくないですが、ここまで目立つようにやられると台詞や物語の進行に集中できないため、映画への没入が阻害されてしまいます。また「夢灯篭」と「前前前世」とが流れるシーンは映像に音楽をのせるのではなく音楽に映像をのせたかのように見えるため、映画というよりもミュージックビデオを見ているような感覚になるんですよ。この2つが序盤に来てしまうため、映画を観る意欲が結構削がれてしまいました…。 




②事務的に静的に展開する紙芝居のよう 

事務的な展開というのは、物語がそう進むための根拠となる描写に観客の意識が乗らない状態でお話が進んでいくことです。「君の名は。」では主役である三葉と瀧以外のキャラクターが話す内容はテンプレの塊で新鮮味が無いんですよ…。全員がそうではないですが、特に不良3人組は最悪。これもまた序盤の序盤にぶち込まれるので「またこのパターンか…」とゲンナリでした。


 異様にテンポが良いことも事務的な展開に拍車をかけていたように思えます。ある場面を見せたいがためにキャラクターを動かし風景や視点を変えポンポンと話を展開していくため、こちらが物語に没入する前に気持ちを遮断される様でした。 序盤における各視点の尺バランスも悪く、瀧よりも三葉の方がガッツリ描かれているんですよ。にも関わらず中盤以降は長らく瀧視点が続くので、どうにもこうにもキャラクターへ同調することが出来ませんでした。 



何かしらを燃料にして人物や展開が「動いていく」ことによって場面を繋げることを動的な展開だとすると、それの反対が静的な展開です。動的な展開は、観客を物語や登場人物に引き込むため必要不可欠な要素でしょう。私はこれを映像と精神との面両で考えることが出来ると思い、「君の名は。」に何故静的な展開を感じてしまうのかを確認するため、こういう表を作ってみました。記憶のみに頼っているので不確かですが…。  


こう振り返ってみると、入れ替わりが途絶えて以降は精神面が動的になりますし、映像精神の両面が動的な状態で視点の切り替えや物語の転換が起こります。しかし、序盤に静的な状態が長く続くので「このお話、全然動かないなぁ…」という印象を持ってしまったのでしょう。物語を強烈に引っ張る燃料として定番な「主人公が追い込まれる」状況ではないことも、静的に感じてしまう、物語に没入できない原因だと思います。入れ替わりが途絶えた後、そして糸守の真実が明らかになってからは打って変わってドンドン追い込まれていくため、その加速感には堪らないものがありましたが。

 

三葉の父親との関係や不良組からの嫌味、田舎コンプレックスは、入れ替わり時における彼女の精神面燃料ではありますが、物語を動的にする燃料である「追い込み」ではないですよね。あれは彼女にとって日常なわけですし。瀧に至っては、中盤になるまで燃料になるのが「入れ替わり状態のドタバタ」位ですから、瀧に関する興味があんまり湧かないんですよね…。 




③青春と災害による物語の剥離 

これが、鑑賞後に私の中で「何故?」が巻き起こった一番の原因だと思います。 中盤までは高校生男女の入れ替わり生活といういかにもな青春物語でしたが、三葉が住む糸守町の真実と入れ替わりのズレとが明らかになる中盤以降は、彗星災害を止めるための物語に変化していきます。ここでは「消失した町」「彗星激突の瞬間」「災害を伝える新聞やニュース記事の数々」「被害者名簿」といった、痛烈な死のイメージを間接的に叩きつける描写が次々となされる為、前半に溢れていた瑞々しさが一気に消失するんですね。 


こういった雰囲気の転換、もっと言えばジャンルの転換というのは結構使われる手段ですが、直近に東日本大震災や熊本地震等の被害を受けた今の日本にとって、この災害描写は物語を根本から覆してしまう程の圧倒的力を持っています。軽く触れただけでも難物になってしまうにも関わらずここまではっきりと描いているということは、直近の震災における何か、震災以降の何かを伝えるためなのでしょう。 しかし、ならば何故最初からそういう物語にしなかったのか?災害をテーマにしたアニメ映画を作り、そこで一本筋の通った物語を描けばよいのではないか?何故二人の男女の物語に災害を組み込む必要性があったのか?しかも、彗星被害を「無かったことにする」という物語にしてまで…。 


鑑賞直後は青春恋愛映画として描きたいことと災害映画として描きたいこととがバラバラで、無理矢理くっ付けている様に思えてしまいました。前者を隠れ蓑にして後者を描くことが目的だったのではないか…そこまで考えてしまいました。  




この①、②、③を考えてみて共通したのは「この作品はいったい何を軸にしているんだろう?」という疑問。シンプルに「こういう映画!」とすることが出来なかったんですね。 演出や物語が矛盾に溢れてぐらついていたとしても、一本明確な軸が通っていれば「こういう作品である」と落としどころを付けることが出来ます。しかし「君の名は。」は考えどもを見つけることが出来ませんでした。

主人公達が動きつづける必然性すら見いだせない毎日が続きましたが、サイクリング中にある気づきがありました。 


「もしかしてこれは、意図的に矛盾や散漫さを作っているんじゃないか?」 

「登場人物達の姿勢と、監督の描きたかったことがリンクしているんじゃないか?」 


当たり前と言えば当たり前の事ですが、ここに至って物語が腑に落ちたんです。それを確かめる為に2回目3回目の鑑賞を行ったところ、着眼点は間違っていなかったことを確信しました。合わない箇所が裏返り、そのまま魅力になっていたんですね。  





■感想 

「君の名は。」は、意志の物語であったと思います。とびきりシンプルで、小さくて、強い意志です。 ここで、パンフレットに載っていた、作画監督の安藤雅司さんによる文章を引用します。  


『君の名は。』は、新海さんが持っているマイナーな部分とメジャーな部分、作品的に点描で見せる散文性の部分と時系列で見せる物語性の部分を絶妙に繋いだものになっていて、なおかつ幅広い層が楽しめるお話になっている。


 私が行きついた結論もこれに近いものでした。 

散文性のある表現とそれによって生まれる矛盾の中で、少しずつ結ばれて一本の軸となっていく意志…すぐに解けてしまいそうな意志だけを持って進んでいく様は、人生の足掻きのようです。多くの偶然とほんの少しの宿命、そして人間の持つ意志によって、正しく運命的としか表現しえない出来事を結んでいく…極めて人間的な物語に、素直な感動を抱きました。 この感動を物語に対して感じるだけでなく、今作をこういう形に作り上げたという事実そのものに対しても感じてしまうところに、「君の名は。」の持つ豊かさがあるのかもしれません。


 話がかなり抽象的なものになってきてしまったので、ここからは先ほど挙げた「合わない点」がどう裏返り「魅力」になったのかを出来るだけ具体的に書いていきたいと思います。




①RADWIMPSのミュージックビデオに見える←→曲で物語や心情を表現していた

 当たり前っちゃ当たり前なんですけどね(笑)。

 初見時は訳が分からないまま観てあっという間に時間が過ぎていった楽曲シーンですが、何回も聴き込んで歌詞を理解した上で挑んだ2回目以降では印象が全く異なりました。歌詞と曲調と物語とをクロスさせ、スマートかつ豊かな表現が行われていたシーンだったんですね。また、4曲全てが意志の純粋さを謳っているため、「君の名は。」という作品を統括して表現している場面とも言えます。 



例えばオープニング映像と共に流れる「夢灯篭」。自分ですら自分の気持ちを信じ切れなくなっていることと、どんな障害があっても誰かを求める思いとが、「世界のはしっこ」「虹の出発点 終点」「5次元」等の夢を信じる若々しさと空想を語る青臭さとを感じさせる歌詞の中に並行して込められており、疾走感と透明感をイメージさせる曲調に乗せて歌われることで、「君の名は。」の物語内容や雰囲気を表現していたんですね。 言わば作品のすべてが抽象化されているようなシーンになっていたので、2回目の鑑賞ではこのオープニングシーンだけで思わず泣いてしまいました…。何よりも「君の名を 今追いかけるよ」で終わるというところですね。それだけの物語、それだけの言葉なのに、その純粋さと力強さに涙してしまうんですよ…。 



「前前前世」は、瀧と三葉とが入れ替わり生活に気付くところから流れ出し、アップテンポな曲調が映像と物語とを一気に動的なものへ変えていきます。初鑑賞時はこのテンポによってキャラクターへの同調と物語への没入を阻害されてしまい、以降の話に関心を向けることが困難になりましたが、実はこのテンポこそが観客を一気に惹きつける工夫だったんですね。


前前前世が入る前と流れる中との違いに、初鑑賞時は対応できなかったのでしょう。ここまででも大分「何故?」が続いていましたからね(笑)。 実はこのシーンでは、曲が流れている段階での物語内容と歌詞とがあまりリンクしていないんですね。


思い焦がれる気持ちやその相手と会えたことの喜び等が夢灯篭と同じく若々しくも青臭い歌詞で歌われているのですが、瀧と三葉はまだそこまで思いが募っていませんし、強い気持ちも抱いていなかったでしょう。 しかし、前前前世で紡がれる音と声とが放つ青春の輝きは、これから彼ら自身が結んでいく運命の始まりを告げるのには最適です。 物語が動き始めること。それを理屈ではなく視覚と聴覚という感覚で掴ませるシーンだったんですね。 



3曲目の「スパークル」は、瀧との邂逅を終えた三葉が彗星衝突の危機から町を守ろうと奔走しだすところから流れます。この曲は前の2つとは異なり、疾走感ではなく切なさを秘めた、静かで力強い曲調と歌詞になっています。そしてそれが劇中と見事にクロスするんですねぇ…。


歌いだしの「まだこの世界は 僕を飼いならしてたいみたいだ 望み通りいいだろう 美しくもがくよ」という歌詞が、彗星衝突という定められた事実に抗う瀧と三葉そのままですよね。 スパークルが流れる間はこの様に、歌詞が歌われるタイミングと劇中の事態とが絶妙にシンクロする場面が多いです。「遂に時はきた」では確か爆発が起きるか何か明確に事態が動き出す場面ですし、「愛し方さえも」では「好きだ。」の文字を三葉が見る場面でした。こういう、音と展開が瞬間的にシンクロするのが大好きなんですよね、私(笑)。 


また、切なげなスパークルが流れることによって起こっている事態の深刻さやシリアスさよりも三葉の心情に意識が向けられるため、雰囲気がサスペンスドラマに行き過ぎなくなり、作品の軸が曲がらないようになっていました。  



「なんでもないや」は、成長した瀧と三葉の邂逅、そしてエンドクレジットで流れます。ここで流れるのは映画用に歌詞が追加されたものであり、その歌詞がスパークル以上に劇中とシンクロするものになっているんですよねぇ…。「離したりしないよ 二度と離しはしないよ やっとこの手が 君に追いついたんだよ」「嬉しくて泣くのは 悲しくて笑うのは 君の心が 君を追い越したんだよ」……ううう(泣)。


 追加歌詞以外でも、ぽつりぽつりと歌われる歌詞の一つ一つが、瀧と三葉のこれまでと今、そしてこれからを表現しているようです。それらが紡がれたところで「僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー 時のかくれんぼ はぐれっこはもういやなんだ」と、力強く歌われるんですよ…。


「忘れたくない」という意志だけを持って頑張り、それすらも時と運命の中でかき消された後に「何かを探していた」という気持ちを持ち続けていた二人が、やっと出会えた…その心情を表現した素晴らしい歌詞じゃないですか…。  



楽曲は物語と合致し、作品世界やその豊かさの一部となっていたんですね。(曲をしっかり知っていないと意味がよく分からないという問題はありますが…) だからこそ楽曲が流れ出すシーンは物語上の要所であり、そこで描こうとしていることを聴覚にも訴えていたんです。一曲一曲が「君の名は。」の物語を内包しているんですよね。


そして、若々しく青臭い、だからこそ純粋な言葉によって結ばれていく意志の歌でもあるため、聴くたびに自分の人生を思い起こしてしまう…。 正に「映画音楽」と言うに相応しい名曲ばかり…4つの歌だけでなく劇中の楽曲全てを手掛けたRADWIMPSは本当に素晴らしい仕事をしてくれました…ありがとう!!   




②事務的に静的に展開する紙芝居のよう←→意志だけで紡がれた物語 

今作は、とにかく観客の同調や没入を遮る要素が多かった様に思えます。というか、物語然としていないんですよね。


 ・主人公らしからぬキャラの薄さ 

→要素の多い三葉はともかくとして、瀧は全くの一般人な上に身の上が語られない。  二人ともアニメキャラらしい突き抜けた部分が無い。中盤まで追い込まれない。 

・物語進行における必然性の無さ  

→「何かがある気がする」という理由のみでポンポンと話が進み、無償の協力を得られる。 

・異様に良いテンポ  

→観客が話を飲み込む前に展開が進んでいく。抽象的な台詞や独り言をきっかけに進むことが多いのも一因か。 

・動きが無さすぎる序盤  

→前前前世が流れる前までは映像面でもキャラクターの精神面でも物語を引っ張るほどの動きは無い。 


しかし、こういった要素の数々は、敢えて置かれているのではないでしょうか? これらの要素の積み重なりによって、劇中の登場人物にも、観客にも、三葉や瀧にすら「そこまでする理由は無いのでは?」「何故そんなことをするのか?」と思わせます。物語の構造や演出からも、そう言われているようです。 それでも、瀧や三葉は「忘れたくない」という気持ちだけを持って、その一心で進み続けます。何の根拠もなく、ただ何かが引っかかる…その意志による行動だけで、静的な物語をドンドン動的なものへと変えていきます。  


よくよく考えればこれって、私たちが生きているこの現実世界と同じだと思うんですよ。 他人からも仲間からも信じられず、社会や運命からすらそれを否定されていると思ってしまうことは、必ずあるはずです。そんな時は、自分ですら信じられないかすかな意志を手繰り寄せながら、少しずつ進んでいくしかない…。だからこそ、人間が抱く意志と、それによって結ばれていく「物語」に、私たちは感動するんだと思うんですよ。  


その意志が結実するのが、誰からも望まれない中で動きつづけた瀧と三葉が、遂に邂逅するシーン。そして、5年と8年という時間の後に、忘れないという意志すら消えかけたその時に、思い出した「引っかかる気持ち」だけを頼りにして、もう一度、そして決定的に出会うシーンです。 

人の意志の力、そして心の中に残る気持ちの力。多くの困難と偶然、ほんの少しの宿命を経てつかみ取った運命には、感動するしかないじゃないですか…。 


「君の名は。」は意志と気持ちとを頼りに物語を結んでいった、とても人間臭い、熱い熱い熱い物語だったんですよ!  




③青春と災害による物語の剥離←→感じた気持ちを忘れなければ、何かになる 

「君の名は。」は前半に青春物語が展開し、後半はそこにシリアスな災害物語が加わり、最終的には出会いの物語として着地します。初見時は災害物語の容赦のなさに青春物語との剥離を感じてしまい、今作がいったい何をしたいのか全く分からなくなってしまいました。  


しかし、前述したように、これもまた私たちの人生と同じだと思うんですよ。世の中で起こることには剥離が付き物ですし、その中で起こっていることが一体何なのかなんて、明確な答えは誰も出せません。 

そんな中で意志を貫き生きていく瀧と三葉の姿は、人生に立ち向かう姿そのもの。綺麗ごとですが、その剥離に抗い続けるということは、誰にでも出来ることではありません。フィクションの様にも思えてしまいますが、それを現実だと信じたい、現実にしたいと思いませんか? 


そしてそこに、新海誠監督や作り手たちが、震災の記憶が強く残る今に災害を扱い、この作品に乗せたメッセージがあると思うんです。これを最も強く感じるのは、二回ある瀧と三葉の出会いシーンです


終盤、瀧と三葉は能動的に行動したことによって一回目の出会いを果たします。そこには「忘れたくない」「会いたい」という、強くてシンプルな願いがありました。その結果、瀧と三葉は彗星衝突による災害を回避させることに成功し、死傷者を0人にすることが出来ました。 

対して二回目の出会いに関しては、彼らは強い意志を抱きつづけていたわけではありません。むしろ時間によってその意志は殆どかき消されていました。しかし、詳細な記憶や意志が無くても、彼らには「何かを探しているかもしれない」という酷く曖昧な、不確かな気持ちだけが残っていました。いや、残し続けていたんです。その気持ちを捨てることなく持ち続けた結果、お互いを一目見るというきっかけによって、一気に強い意志へと変貌しました。そして、決定的な再開を果たす…。


忘れないことを貫けば、たった一人でも貫けば、何か大きな力になる。例えそれが一人の脳内の中であっても、創作の中であっても、まやかしの希望であっても、暗い事実を明るい希望に変えることが出来るんだということを、一回目の出会いで描いていると思うんです。


 そして、強い意志や詳細な記憶、明確な思い出が無くとも、その時に感じた気持ち、何かが引っかかるという気持ちを持ち続けるだけでも、何かは起こすことが出来ると。それが誰かとの出会いなのか、過去の記憶を呼び起こすことなのかはわからないが、感じた気持ちを捨てる必要は無いんだと。二回目の出会いに込められたメッセージは本当にささやかですが、人間の心を信じる作り手達の思いが伝わってきます。   




■超超個人的な感想 

 面白かったところ

 ①上白石萌音、神木隆之介、長澤まさみの好演 

②写実的な背景 

③方言 


①上白石萌音、神木隆之介、長澤まさみの好演

 本業俳優の方が声優をやるとどうしても俳優時の印象を声から感じ取ってしまいますが、この三者は全くそんなことはありませんでした!上白石萌音は「ちはやふる」で大好きになりましたが、自然に聞いていると彼女の声だと分からないほど三葉と瀧になり切っていましたし、神木隆之介はもう円熟の粋ですね。瀧in三葉のところは「男の声なのに女」という状態をイライラさせることなく演じていたと思います。そして特筆すべきは長澤まさみ。全く気づきませんでしたよ…。凄いとしか言えません…。 


②写実的な背景 

予告の時から素晴らしいと思っていましたが、実際観てみるとそのリアルさは小手先ではなく、観客側に「これは現実の世界かもしれない」と思わせ、アニメの世界だからと思考停止させないことにも繋がっていました。でも、口噛み酒がリアルな描画なのかどうかは分かりません!!!!  


③方言 

多言語混在描写大好きマンとして、糸守町に長年住んでいるキャラクター達の話す方言には堪らないものがありました。特段言語が異なっているわけではないのですが、イントネーションが明確に異なっているんですよ。これを自然に感じさせる演技は非常に難しいと思うのですが、バッチリハマってましたね。  

  

 

釈然としなかったところ  

①絵が上手い瀧 

②アウトドアグッズを当たり前の様に持っている東京人

③たった一人で登山に向かう瀧


 ①絵が上手い瀧 

主人公でイケメンで声が神木隆之介な上に絵が上手い…釈然としない!なんでも出来るのか!(努力があったんでしょうけどね…)


 ②アウトドアグッズを当たり前の様に持っている東京人 

結構高いのになんでそんなに万全なのか…奥寺先輩と瀧よ…。瀧は山とかに興味あるようだったし、アウトドアが趣味なのかな?


 ③たった一人で登山に向かう瀧 

危ないからやめましょう。 




■総括

物語に酔う映画ではなくまるで現実の人生の様に分散された事実を咀嚼し、自らの手で物語に意味を見出していく…。そして、自分の人生を顧みる…。映画の上映時間だけで終わらない、考えぬくことまでを含めた「映画体験」を味わうことが出来ました。そして、これを観てから物語や映画の見方考え方が確実に変わりましたね。これは今静的なのか動的なのか、どう観客を惹きつけているのか…そんな事ばかり考えながら見るようになりました(笑)。  


また、兎にも角にも綺麗な物語でした。明確な悪役はいませんし、災害の場面も人死にの決定的瞬間は見せず、瀧と三葉が長々とクヨクヨする場面もありません。ガツンとしんみり「させられる」時間がなく、楽曲に乗せた物語運びとテンポのいい編集によって時間経過も早めに感じるので、軽い心持で楽しく観ることができ、作品の純粋さ綺麗さに浸ることが出来るんですよね。恐らくこれが、リピーター含めた超絶大ヒットの要因でもあるでしょう。  


何度でも観たくなる。そして、何度でも考えたくなり、誰かと語り合いたくなる。こういう映画がヒットしているのは本当に嬉しいですよ…。12月いっぱいまで上映するらしいので、観た人も未見の人も、是非劇場に行ってみて下さい! (ただ、少しはシンゴジラとかスタートレックビヨンドも観てくれ……!!!) 



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