ワクワクもんですね。
光光太郎です。
早速本題に入りますが、今回感想を書く映画は
仮面ライダー1号
です。非常に賛否の分かれる作品ですが、私はこの作品、大好きですね。あと、今回の感想は下にある「鑑賞関連ツイート」に言いたいことはほぼ詰まっています。ネタバレアリですよ!
■あらすじと解説
「仮面ライダー」45周年を記念して製作された劇場版で、仮面ライダー1号/本郷猛を演じた藤岡弘、が44年ぶりに仮面ライダーとして主演を務めた。
45年前に悪の秘密結社ショッカーによって改造人間にされた本郷猛は、長年にわたり、日本そして海外で悪と戦い続けてきた。ある少女の危機を知り、急遽日本に帰国した猛は、仮面ライダーゴースト/天空寺タケルら仲間たちと出会い、仮面ライダーに変身し、ショッカーに立ち向かう。
本郷猛役の藤岡は企画段階から本作に参加。大杉漣が「劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」でも演じた宿敵・地獄大使役で出演。(映画.comより引用)
■鑑賞関連ツイート
「仮面ライダー1号」観ました。
— 光光太郎 (@bright_tarou) April 5, 2016
私は、大好きですね。ここまで面白く、また「仮面ライダー」らしい作品を魅せてくれたら、大満足です。
そりゃあ、30秒に1回?が出る映画であることも確かだけど、これには決して折れない芯がある。 pic.twitter.com/GZZ9heepLm
「仮面ライダー」という偶像に、夢と希望を持つ仲間同士なんだよ。仮面ライダーの名のもとに、みんな繋がっているんだ。
— 光光太郎 (@bright_tarou) April 5, 2016
日本中の仮面ライダーを好きな人達、今仮面ライダーを作り上げている人達、そして、仮面ライダーを作ってきた先人達は、みんな同じモノを観ていたんだよ。それがあのEDシークエンスに集約されていて、涙が止まらなかった。
— 光光太郎 (@bright_tarou) April 5, 2016
あの映画での藤岡弘、さんは物語的にも現実でも「仮面ライダーでいつづけた男」としての役割が強いと思う。そしてそこには藤岡イズムよりも「仮面ライダーへ思いを持つ者達」として、仮面ライダーを好きな全ての人が抱いている思いを言語化してくれる者として、藤岡さんはいるんだと思う。
— 光光太郎 (@bright_tarou) April 6, 2016
■概要
前述した通りこの作品、巷では「藤岡弘、映画として肯定派」と「一本の映画としてあまりにもお粗末派」とで、評価が真っ二つに割れています。公開からずっと続く大論争をTwitterで見続け、仮面ライダー映画として期待値が下がりに下がった状態で観たのですが、いやぁ…確かに欠点は山の様にありますが、私はとても楽しめた、感動できる作品だったと思っております。ただ、私は「藤岡弘、映画」として楽しんだわけではありません。
この「仮面ライダー1号」という作品は、「仮面ライダーという偶像」を巡る物語であったと思います。とても抽象的な物語であり、メタ要素を多分に含む作品でもあり、仮面ライダー映画としてはかなり特異な作品でした。
そして藤岡弘、さんは「藤岡イズム」を叩きつける為の存在ではなく、この偶像を語る存在として、この作品に欠かせない人物であったのだろうと。
本郷猛であり、藤岡弘、が担う役割
藤岡さんが演じる「本郷猛」は、45年間悪と戦い続けてきた男であり、藤岡さん自身も45年間「仮面ライダー、本郷猛」であり続けた人物です。劇中では、明らかに本郷猛ではなく藤岡さんになって「藤岡イズム」を発揮する場面はあるのですが、教室で発現した「藤岡イズム」は「笑われる存在」でした。ここでの藤岡さんの達筆なチョーク文字には笑ってしまいましたが…。
つまり、この映画では「藤岡イズム」そのものが重要ではないと示しているんですね。それでは何故、藤岡さんという人物が必要だったのか…。それは仮面ライダーという偶像に対して我々が抱いている思い、それを言語化し、体でも表現することが出来る唯一の存在…そのために、藤岡さんはこの映画にいるのだと思うんです。
仮面ライダーという偶像とは?
仮面ライダーとは、時代が、つまり人が望めば、蘇る。決して弱者の叫びを見捨てない、そんな存在なんですね。「仮面ライダー1号」の終盤、新しい仮面ライダーであるゴーストやスペクターもそういった存在になっていきました。そして、本郷猛もまた、ボロボロの体でありながらも、自分を求める魂の叫びを聞き、仮面ライダーへと変身します。
また、仮面ライダーという存在でなくても、仮面ライダーを人知れず支え、だれよりも仮面ライダーであった男、立花藤兵衛のおやっさん。彼はどんな理不尽や暴力にも絶対に負けず、挫けず、助けを求める者や蹂躙される人々の為に、何度も何度も悪と戦い続けました。そんなおやっさんがいたからこそ、仮面ライダー本郷猛は悪と戦うことができ、また、仮面ライダー本郷猛という存在がいたからこそ、おやっさんも戦い抜くことが出来たんですね。
それは、互いが離れ離れになっても同じであることが、今作における本郷猛の口から語られていました。
仮面ライダーとは1人の改造人間を指す言葉ではなく、人類の自由を守る者、目の前の命を守る者、存在を望む者の前に現れ共に戦う者、そういった存在を示す言葉になっていったんですね。これを最初の仮面ライダーである本郷猛が、そして新しい仮面ライダーである天空寺タケルと深海マコトが体現する終盤が、この上なく「仮面ライダー」らしい場面だなと。
物語の登場人物達も、そして私たちも、仮面ライダーという存在が行ってきたことを見て、人物ではなく概念で「仮面ライダー」を捉えてしまいます。しかし偶像となったことで、仮面ライダーという存在は、より我々にとって身近なヒーローに、信じられるヒーローになったのではないでしょうか?
では仮面ライダーが行ってきたこととは何だったのか…それは「ショッカー」という理不尽と暴力、悪に立ち向かうことです。
仮面ライダーが戦う相手「ショッカー」とは?
暴力と理不尽を行う「悪」である「ショッカー」。「仮面ライダー1号」では旧来のショッカーに加え「ノバショッカー」という新時代の悪が生まれました。彼らはどんな時代でも絶対に消えることが無く、人々の笑顔を消し去り続ける「悪」そのものです。今作では冒頭に逃げ惑う人々を映したり、殴る蹴るの肉弾戦が多めであったり、仮面ライダー達の苦戦が続いたりと、どことなく暴力の香りが強くなっており、ショッカーやノバショッカーの悪事の陰で泣く人々を想像してしまいます。
また、今回のノバショッカーの作戦は尋常でない被害を生み出したに違いありません。日本中から笑顔が無くなり、不安と恐怖に襲われ、涙する人たちがいたはずです。ゴーストもスペクターも1号も、目の前の敵は倒せても、終盤までその存在を消滅させることはできません。
この物語ではノバショッカーもショッカーも中心人物は倒れましたが、この世界にはまだ眼魔がいますし、いずれショッカー達も復活するでしょう。悪が絶える事の無い世界の中で、仮面ライダー達の戦いは対処療法でしかなく、全ての人を救うことは不可能。それでも、助けるために戦う。それが仮面ライダーです。
現実でも、どんなに時が進んでも、人の笑顔を無くす存在は現れます。それは天災であり、人災でもあるでしょう。決して理不尽や暴力が消えることはありません。難しい話、規模の大きい話でなくても、個人個人が落ち込み、自己卑下してしまうことで生まれる涙もあるでしょう。
だからこそ人は「仮面ライダーという偶像」を信じ、自分自身が「仮面ライダー」のような存在になろうとするのではないでしょうか。
「仮面ライダーという偶像」が起こした事実
仮面ライダーを通して繋がった仲間、これはゴースト達の様な物語上の仲間でもあり、仮面ライダーに夢を持つ現実世界の人々のことでもあると思います。傍にいなくとも、守るという行為、仮面ライダーを好きでいるという行為で、繋がっているんだと。
そしてそれは、EDで流れるオフショットでも示されています。老人が、おじさんが、若者が、物語では守るために戦い、現実では仮面ライダーという夢を描くために頑張っている。そして我々は、その両者の戦いを観ている。
映画を観ている我々も、映画を作っている制作者も、どんなに離れていたとしても「仮面ライダーという偶像」で繋がっている。その事実が、劇場で同じ映画を観るという体験とED、そして本郷猛であり、藤岡弘、であり、仮面ライダーである彼が語る最後のメッセージに、集約されていたんだと思うんです。
この「仮面ライダーという偶像」が起こした事実、人の人生に多大な影響を与え、見ず知らずの人を繋げているという事実に、涙が止まりませんでした…。
■感想
ここからは超個人的な感想を書いていきたいと思います。まずは面白かった点から。
①暴力の香り
②カッコよすぎる1号
③サスペンスのある戦闘描写
①暴力の香り
前述した通り「仮面ライダー1号」には、そこはかとなく暴力の香りが漂っていました。冒頭での襲撃シーンから始まり、肉弾戦中心の戦いや苦戦続きの戦いなど、肉体同士のぶつかり合いからくる直接的な暴力を感じずにはいられませんでした。ノバショッカーのウルガとバッファルが「眼が見えるスーツ」であること、イーグラが生身で戦うこともあり、人間が行う暴力も感じました。こういった「暴力の悪」に対して怒りを露わにするタケルには凄みがありますし、カッコいい。
仮面ライダーの映画を観に来る子供達に対して「テレビで体験出来ないこと」をさせるのが映画の使命であると思うので、こういった暴力を匂わせる描写は是非続けて欲しいですね。
②カッコよすぎる1号
最初に1号のデザインを見た時は正直微妙だったのですが、映画ではどのシーンも「カッコいい!」の一言。変身シーンはバッチリ決まっていますし、変身時の「風をまとう」エフェクトはカッコよさだけでなく「老練な戦士」を思わせるような動きになっており、現在の本郷猛=仮面ライダー1号にピッタリな演出です。
また、アクションシーンも重さを感じるものが多く、特に「ライダーパンチ」の迫力は相当なもの。見た目のド迫力も相まって「これは撲殺される…」と思えました。1号に限らず、今回のアクションシーンは前回の「ジェネシス」と比較して雲泥の差で、しっかりと「映画でしか観れないアクション」になっていましたしね。キレは無いけど凄まじいワイヤーアクションがありますし、アングルやカメラ移動が面白いアクションシーンも多めでした。全編の4分の1は戦ってんじゃないかという位アクションシーンが多いんですが、全く飽きずに楽しめましたね。
③サスペンスのある戦闘描写
今回の戦闘描写で特徴的だったのが「戦闘中もドラマが進行していること」でした。謎をはらみながらの戦闘や、事態を収めるために急ぐ中での戦闘、人を助けるための戦闘など、大体の戦闘描写に「アクションを魅せる」以外に物語上の意味がしっかりあるので、物語が止まらず、サスペンスが持続するんですね。なので苦戦続き、スカッとしない戦いがあっても、飽きることがありませんでした。
例えば終盤の決戦では、ゴーストとスペクターはノバショッカー相手に歯が立たず、蹂躙されるばかりでした。しかし前後に「仮面ライダーらしさ」が示されるため、彼らの戦いが「叫びに答え、守る為の戦い」に見えるようになっているんです(守るべき対象は出ませんが…)。その為、戦いが続いて朝になった場面は「あれほど強力な敵を、最大限抑え込んでいる」という意味合いにもなってきます。勝てないが弱くはないという、見事な演出だったと思います。
続いて、残念だった点を。
①30秒に一度訪れるダメダメ演出
②本郷猛≠改造人間
③グレイトフル魂、ネクロムが出ない
①30秒に一度訪れるダメダメ演出
本郷猛は一般人に暴力振るわないと思うな…/何故カラオケをする/何故仙人が見えているんだ/アクションシーンでカメラ動かしすぎだぞ/マコト兄ちゃん、年上には敬語だ/教育実習生になる必要ないぞ/何故特別講師になるんだ/唐突に始まる藤岡イズム/相変わらず他人に配慮できないアカリ/唐突に戦闘員ギャグ入れるんじゃない/不良たちをドつくシーンいるか…?/芝居無しの藤岡さんとJKの異様なデート/藤岡さん、そこは芝居しましょう/割と脳筋なノバショッカーの作戦/突然正義感に目覚める竹中直人/残念CGなノバショッカーマシーンと町破壊描写/何故山小屋が分かるんだ/悠長にしてるんじゃない/何故もっとゴーストチェンジしない?/結局渡した奴は誰だ/アカリ、カメラ目線で解説はやめるんだ………
多分見返すともっとあると思いますが、突っ込みどころはいつも以上に多い作品です。何より、藤岡さんがあまりにも演技をしない素の状態であることが多く、かなりノイズでした。
②本郷猛≠改造人間
今作では、本郷猛が改造人間であるといった描写はありませんでした。しかしあらすじにもしっかりと「改造人間」という文言が載っていたので、ここは貫くべきところであったのでは…?
一般人相手の格闘、落ちてくる人を支えられない、医者に診てもらい診断結果が出る…とても改造人間だとは思えない描写が多々あります。今「改造人間」という描写は出来ないのかもしれませんが、これでは本郷猛がどんな人物で、どういった経緯で仮面ライダーになり、どんな宿命を負っているのか、全く分かりません…。
③グレイトフル魂、ネクロムが出ない
TVでは既に出ているのだから、これは販促の上でも出すべきだったのでは?マコト兄ちゃんが消えてないとかそういう細かい所を気にする体制でもないのだし、見栄え優先でもいいからグレイトフル魂は出して欲しかった。でも、オレ魂とスペクターのコンビは良かったし…一概には言えないですかねぇ…。ネクロムどころか眼魔勢が一切出ないのも不自然。
1号は去り、ゴーストは「仮面ライダー」を受け継ぎました。
藤岡弘、さんと交流を果たした西銘駿さんも、「仮面ライダーという偶像」を語り、体現する存在になっていくでしょう。
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