映画感想:ズートピア ~複雑で難しくてどうしようもない、この世界に乾杯~

ワクワクもんですね。

光光太郎です。


今回はディズニー長編アニメであり、社会派ドラマでもあった


ズートピア


のネタバレ感想を書いていきたいと思います。

■あらすじと解説

動物たちが高度な文明社会を築いた世界「ズートピア」を舞台に、ウサギの女の子ジュディが夢をかなえるために奮闘する姿を描いたディズニーアニメーション。監督は「塔の上のラプンツェル」のバイロン・ハワードと「シュガー・ラッシュ」のリッチ・ムーア。どんな動物も快適な暮らしができる環境が整えられた世界。各々の動物たちには決められた役割があり、農場でニンジン作りに従事するのがウサギの務めだったが、ウサギの女の子ジュディは、サイやゾウ、カバといった大きくて強い動物だけがなれる警察官に憧れていた。警察学校をトップの成績で卒業し、史上初のウサギの警察官として希望に胸を膨らませて大都会ズートピアにやってきたジュディだったが、スイギュウの署長ボゴは、そんなジュディの能力を認めてくれない。なんとかして認められようと奮闘するジュディは、キツネの詐欺師ニックと出会い、ひょんなことからニックとともにカワウソの行方不明事件を追うことになるのだが……。(映画.comより引用)


■感想

アメリカではアナ雪を超える大ヒットを記録し、日本でもジワジワとブームが来ている「ズートピア」ですが、その現象は素晴らしいことですよね。何故そう思うかと言うと、今作はディズニーアニメなので勿論ファミリー向けの内容なのですが、扱われているテーマが「差別」なんですね。


普通は「差別」という、絶対に無くならない社会問題を扱うだけでも難しいはずです。しかし、今作は「誰が観ても面白いエンターテイメント」として成立させ、「差別する側、差別される側の視点を観客に体験させる」ところまで行っているんです。


凄い、凄いとしか言いようがありません。これ、一歩間違えればディズニーそのものを破滅させる題材になりかねなかったはずです。しかし公開してみると、ファミリー向けエンタメ作品として大成功を収めているんですね。これを多くの方が観に行っているという現状は、とても健全なことだと思います。



「ズートピア」の最も素晴らしい点は、テーマそのものでもあるストーリー構成でしょう。


中盤までは主人公ジュディの視点を通して「被差別側が社会の偏見にめげず成功する話」が描かれていました。ここではジュディの奮闘だけでなく、彼女の相棒となるニックのひょうひょうとした態度のカッコよさ、正反対な2人の「やられたらやり返す」バディものの面白さ等が詰め込まれています。行方不明事件をめぐる正統派サスペンスと、あり得ない世界をリアルに見せるアニメーションも相まって、痛快な面白さに満ちていました。


しかし、ジュディによる肉食動物への「無意識の差別」が明らかになると、肉食動物のキツネであるニックは「差別されていた事実」に深く傷付き、二人は仲違いをしてしまいます。

ジュディによる「肉食動物は生物学的に本能を抑えられないかもしれない」という発表によってズートピア内でも肉食動物への疑惑が高まっていきました。そんな状況を見て自らの間違いを受け止め、ジュディは警察官を辞めてしまいます。

(この直前で「傷つかないようにしてきた」と語るニックが、ジュディとの出会いを通して変わろうとする姿が描かれていたため、より一層やるせない気持ちになってしまいます…)


つまりここで、被差別側と差別側の逆転が起きたんですね。ジュディも自身が行っていたことに衝撃を受けますが、それまでジュディを応援していたであろう観客すらも、自らが差別の視点を持っていたことに「無理矢理」気づかされます。差別する側に抗う話だったのに、被差別側も差別側を傷つけていたんだと、しかも「自分の相棒」を…。

その後素直に謝罪して仲直りしたジュディとニックは、全ての黒幕であった「弱い立場の羊」である副市長に追い詰められます。しかし2人は「社会通念の姿」を敢えて演じることで副市長が声高らかに語った「肉食動物への印象操作」の演説を録音することに成功し、副市長は逮捕されました。結局は肉食動物と草食動物の軋轢ではなく、一匹の動物が持っていた「被差別側の強烈な差別意識」による行動で起こった事件であったということですね。



「ズートピア」は決してフィクションの話ではありません。自分は生物学的に弱い立場だから、強い立場にいる者は自分を脅かすはずだ…自分は弱者であるから、強者は自分を理解しないだろう…違いからくる軋轢を気にしすぎるあまり、自分自身が最も自分を貶めている状況や、強者であると「思われている」人を偏見で見てしまうことは、誰にでもあることだと思います。それを、誰もが指摘されたくないであろう部分を、被差別側による差別ということを、徹底的にやり切っているんですね「ズートピア」は。


差別は、決してなくなることは無いでしょう。生物学的な違い、文化の違い、出身地の違い、考え方の違い…「違い」から生まれるコンプレックスによって生じる差別は、どんな場所のどんな時代でも起こるでしょう。そのことを考えながら生きることは、とても難しく、挫折を伴うでしょう。

しかし、他者と違う自分を受け入れること、自分と違う他者を受け入れること、そして自分自身を受け入れることは、素晴らしく尊いことであるということも、ジュディとニックの仲直りやズートピアと言う存在そのものを通して描かれていました。そして、どんなに異なる存在でも繋がることはできるんだということを見せるライブシーンで、この物語は幕を閉じます。


複雑で難しくて、とっても面倒くさい世界だけど、だからこそ価値がある。そう感じたからこそ、ジュディは警察官に戻ったのだと思います。



■超個人的な感想

面白いところ

①「暴力」描写

②ズートピアというワクワク

③日本版主題歌



①「暴力」描写

冒頭、R15映画にも引けを取らない、超怖い「暴力」シーンがありました。一切ぼかすことなく、強者の暴力に蹂躙される弱者(の様に見える)という描写がなされていたんですね。これは思わず目を背けてしまいました…。暴力を振るっているのは子供のはずなのに、私の身長の十分の一も無いようなキツネなのに、とてつもなく怖い。これは力を振るわれているという物理的な暴力だけでなく、夢と心を踏みにじられる精神の暴力でもあったからでしょう。

マジモンの暴力、現実で絶対に見たくない光景を、子供向けな可愛らしいアニメーションで描くからこその恐ろしさでした。



②ズートピアというワクワク

動物のサイズ差も生息地域も全部考慮した社会的なインフラが整った街なんて、ワクワクしないわけないじゃないですか‼!サイズ別なドアがある新幹線、流氷に乗っての通勤、キリンに飲み物を渡すための機械など、見るだけで楽しいギミックと世界観の数々!特筆すべきはやはり「小さい者居住区」でしょう。あんなところに行ってみたい…!



③日本版主題歌

何かと話題な日本版主題歌ですが、私は肯定派ですね。やはり日本語で歌われた方が内容が分かりやすいですし、何より子供達が歌いやすい。歌自体も下手だとは思いませんし、凄まじいプレッシャーの中やり切ったAmiさんには素直に敬意を表します。



残念だったところ

①ジュディのなりたい警察官像が分からない

②最後の魅せ場がもう少しエモくても…

③日本語と英語がごっちゃごちゃ


①ジュディのなりたい警察官像が分からない

正直なところ、私は「ズートピア」に大きなモヤモヤを感じています。何故なら、ジュディの視点に乗せ切ってくれないからです。

前述した通り、この作品の魅力は価値観が逆転するストーリー構成にあります。そのため、中盤までは観客がジュディを応援できるような、例えジュディが最初っから差別的でもそれに乗れる様な工夫が必要です。


しかし、この作品ではジュディが頑張る原因を「世界をより良くする警察官になりたい」としてしか描いていません。これでは、夢をもって頑張ることに共感できたとしても、何故その夢を頑張るのかについては疑問が残ると思うんです。

そのため、中盤で価値観を逆転させるストーリー構成の魅力を活かすためには「ジュディが憧れる警察官像」を何かしらの形で提示して、ジュディがしゃにむに頑張ることの説得力を増す必要があったと思うんですよ。「何故そんなに頑張るのか?→それが夢だから」ではなく「何故そんなに頑張るのか?→憧れの警察官像を目指しているから」の方が飲み込みやすいからです。冒頭の暴力シーンにおいて「守る警察官になりたい」と決心するならまだ良かったのですが…。


なりたい警察官像が示されれば、上司への反発や仕事への不満も納得ができ、よりジュディがヒロイックに見えたはずです。例え、序盤から中盤にかけて彼女が無意識の差別を行っていたとしても、それを観客が嫌に思うことも無かったはずです。そういった「ジュディの行いを正当化して見れる状態」を作ることが、この作品のストーリー構成の妙を最大限強烈なものにするために必要であったと、私は思います。



②最後の魅せ場がもう少しエモくても…

「偏見のまなざしで見られていた姿を、敢えて演じる」「自分の農場の作物で勝つ」といった要素は非常に燃えるのですが(前者は後から指摘されて燃えました…)もっと視覚的にエモい、ぶちあがることが出来る魅せ場が欲しかったですね…。完全に電車のシーンに迫力負けしてますからね。



③日本語と英語がごっちゃごちゃ

これには正直腹が立ちました。アイスクリーム屋では、日本語の注意書きが次のシーンでは英語になっていましたし、主題歌も日本語のシーンと英語のシーンがありました。あの世界で日本語と英語が公用語であるなら分からなくもないのですが、それにしても不徹底です。


滅茶苦茶面白いけどモヤモヤする、モヤモヤするけど無類に面白い、そんな映画でした。

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