映画感想:ちはやふる -下の句- ~好きが紡ぐ絆~

ワクワクもんですね。光光太郎です。


今回は青春映画の大傑作にして「オタク肯定映画」ともとれる


ちはやふる -下の句-


のネタバレ感想を書いていきたいと思います。

■あらすじと解説

広瀬すず主演で末次由紀の大ヒットコミックを実写映画化した「ちはやふる」2部作の後編。主人公・綾瀬千早と幼なじみの真島太一、綿谷新の3人を中心に、それぞれの思いを胸に競技かるたに打ち込み、全国大会を目指す高校生たちの青春を描く。キャストには、千早役の広瀬のほか、太一役に野村周平、新役に真剣佑とフレッシュな若手が集結。千早や太一と同じ瑞沢高校競技かるた部の仲間で、上白石萌音、森永悠希、矢本悠馬、競技かるた界の強豪で清水尋也、松岡茉優らが共演している。監督・脚本は「タイヨウのうた」「カノジョは嘘を愛しすぎてる」の小泉徳宏。(映画.comより引用)


■感想

「ちはやふる –下の句-」(以下「下の句」)は、「ちはやふる -上の句-」(以下「上の句」)の続編であり、漫画原作の実写映画作品です。この2部作は全く異なる映画だと言えるでしょう。後述しますが、「上の句」では動的な青春を、「下の句」では静的な青春を描き、それぞれ観客の引き込ませ方も異なるからです。

では、「上の句」がどういう作品であったかは、以前記事を書いているのでそちらをご参照ください。



簡単に「上の句」で描かれていたことをまとめると、次の様になります。


ストーリー面

・主に瑞沢高校かるた部の結成と、都大会優勝までの軌跡を描く

・千早、太一、新の関係性→かるたと恋愛

・太一の葛藤と決意

・机君の成長


特徴的な演出

・青春溢れるチーム描写

・邦画テンプレを「面白く」している

・勝敗を軸にしていない



これらから分かる「上の句」で描きたかったこととは、動的な青春を切り取る、ことだと思います。入学、部創立までのチーム集め、合宿、大会と、これでもかとイベント=状況を動かしていたことが印象的でしたし、キャラクターの描写も「素の状態でドンドン状況に絡み、成長していく」といった描き方が顕著でした。だからこそ、悩みぬく太一と机君の存在感が際立っていたと思うんです。つまり「上の句」は、思考を内へ内へと掘り下げていく静的な物語ではなく、常に動く状況や結果の中でどう動くのかを描く動的な物語であったわけですね。正に、毎日が流動的である「輝かしい青春」物語です。


では、今回の「下の句」はどうだったのか?一転して、静的な青春を切り取る、方向に描写をシフトした作品でした。「悩む青春」物語ですね。何故なら、前作であまり掘り下げられることは無かった千早と新が、ドンドン自分の内面に、そして「かるた」について悩んでいくことが物語の軸になっているからです。


「下の句」のお話の流れをざっくりと示すと、次の様になります。



・千早と太一にかるたの面白さを伝えたはずの新が、祖父の死をきっかけにかるたを辞めてしまう。千早はかるたクイーンである若宮詩暢に勝つことで、新を元気付けようと決意する。

・しかし、全国大会の準備とクイーン対策を同時に行おうとする千早は空回りするばかり。そんな千早に厳しい言葉を投げかけた太一もまた、チームと自分の実力を向上させるための努力が空回りしていた。

・孤独に頑張ろうとする千早と太一。そんな両者を救ったのは、瑞沢高校かるた部の面々と、都大会で戦った北央高校のライバルだった。千早と太一は、かるたを通して繋がった仲間と共に全国大会へ向かうことを心に決める。クイーンと再開した新もまた、自らの思いを確かめる為に全国大会が行われる近江神宮へ向かう。

・全国大会1日目、千早は試合中に倒れてしまうが、チームは納得いくまで戦い抜くことができ満足していた。個人戦である2日目において、千早は遂にクイーンと対戦。我流で高めてきたクイーンの圧倒的な実力に押される千早であったが「一番かるたが楽しかった頃」を思い返し、瑞沢高校かるた部との繋がりを持って「団体戦としてのかるた」をとり始める。

勝つことはできなかったが、千早は今までの様に寝落ちすることなく「ちはやぶる」のままでいることができた。瑞沢高校の他の面々のかるた、そして千早とクイーンの戦いを目撃した新は、かるたへ向き合いなおすことを決めた。再戦を誓った千早とクイーン、そして戦うことを約束した太一と新が再び合い見えるのは、3年後のクイーン・キング決定戦だった…。



「下の句」の物語において軸となっているのは「新がかるたを辞めたこと」です。これを機に千早も太一も、そして新も「何故自分はかるたをやるのか?」ということを考え、その結果起こっていく様々な事態に悩み苦しんでいきます。この悩み展開によって、矢継ぎ早に状況が進んでいった「上の句」とは対照的に、「下の句」では非常にじっくりとした描写がなされていたんです。

この悩み展開は「上の句」と異なる静的な青春を物語るのと同時に、観客に今作を見るうえでの視点、つまり「何故かるたをやるのか?」という視点を示しているとも言えるでしょう。


「上の句」では千早に巻き込まれていく太一の視点に観客をシンクロさせていました。それによって物語にグイグイ引き込まれていき、キャラクター達がかるたを取ること自体に疑問を抱くことが無かったんですね。

しかし「下の句」では冒頭に、千早や太一や新がかるたをやっていた原動力を一度壊すことで、「何故かるたをやるのか?」という疑問をキャラクターと観客が共に持てるようにしているんです。そして「上の句」とは対照的に千早達が負のスパイラルに陥っていくので、観客はシンクロするというよりも客観的な視点を持つようになります。


そう、今作では客観的な視点を持って鑑賞できるような工夫がなされているんです。「上の句」から通して描いてきた千早達の物語を、そして「ちはやふる」という作品のテーマを俯瞰して考えさせてくれる、そんな配慮がされているのではないかと。

客観的な視点を1度持ってしまうと、停滞ムードのある作劇に飽きが来てしまう恐れがありますが、千早と太一の問題は中盤に一旦解決し、悩み役が新のみになります。物語の停滞を防いでチームにシンクロさせ、かつ悩みの視点を新に持たせることで、「上の句」でのライド感と「下の句」の俯瞰視点を両立させているんですね。


そして、悩みが主軸の物語である「下の句」において、テーマ的にも実力的にも最強の存在として君臨するクイーンは、強烈に輝いていました。彼女は「何故かるたをやるのか?」について揺るぎない意思を持っているからこそ、今作の最大のライバル足り得ているんだなと。何故なら、終盤における千早との対決はかるた勝負であると同時に、かるたへの向き合い方の示し合いでもあるからです。我流で1人かるたを高め続けてきたクイーンと、かるたで繋がった全員と共にかるたをする千早。この示し合いには、明確な勝敗はありません。しかし、悩んでいた新へかるたと向き合い直すきっかけを与えるのと同時に、クイーン自身にも心境の変化を与えました。勿論、千早自身が「何故かるたをやるのか?」という悩みに対して、やっと答えを出せた瞬間でもあります。そして「ちはやふる」を見続けてきた観客もまた、共感の立場でも客観的な立場でも、この切り取られた青春の物語を受け止めることができるんですね。


この様に「下の句」では、まず最初に観客の視点を客観的なものにし、俯瞰して鑑賞できる態勢にしていました。そして悩みを軸にストーリーを進め、キャラクター達の内面をドンドンと掘り下げていき、最後にはその悩みに対する答えを、余韻を含めつつ示しました。

「上の句」では言わば明朗快活な活躍とチームのオリジンが描かれ、「下の句」では負の要素を見せつつ個人のオリジンへの立ち返りと再提示を行ったわけですね。

では何故、客観的な視点を観客に持たせる必要があったのでしょうか?私は、2部作を異なる視点で見ることで作品をより豊かにするという狙い以上に、「ちはやふる」という作品群を誰もが自分の物語であると思えるようにするため、であったと思います。だからこそ、上下通して軸にしていた要素が「勝負」ではなく「好き」なのだなと。「ちはやふる」を通して画面から溢れる多幸感の正体は、この「好き」描写なんだと思うんですよねぇ。それが「下の句」ではテーマと共に炸裂していたと。

「下の句」では、かるたを取り巻く状況を通して「好き」の豊かさが、描写や物語の両面で描かれていました。大きく分けて3つ、特徴的な「好き」描写があったと思います。


①単純に「好き」であること

ただただ、「好き」を炸裂させている場面が愛おしいんですよね。かるたに対する千早の思いや、和歌に対する奏ちゃんの語りなど、枚挙にいとまがないでしょう。それは瑞沢陣営だけでなく、北央高校のライバル達も同じです。みんな、「好き」なんですよね。かるたが。

そして!今回最も「好き」描写が印象深いのは、何と言ってもクイーンでしょう。登場数分で心を鷲掴みにする反応が本当にもう…。あれは正しくオタクの反応ですよ…!

しかし、「好き」であることは盲目を引き起こすということも、前述の通り描かれていました。そして、理由が無くなれば崩れてしまう程に脆い思いであることも。


②「好き」を高めること

クイーンは先生も持たず、ただ1人で黙々とかるたの世界にのめり込んでいきました。その姿勢が単に強さのみを追い求めるものではなく、和歌そのものの意味やイメージにまで及んでいることは、奏ちゃんの解説からも明らかです。ただひたすら正攻法に、真剣に取り組んで「好き」なものを高めることは尊い行為です。これは、クイーンの醸し出す雰囲気や出で立ちそのもので体現されていますね。

しかし、それと同様に、協力を持ってして高め合うこともまた、尊い行為です。クイーンには「仲良しごっこがしたいだけ」と一蹴されてしまいますが、千早達はチームだからこそ、他者と関わり続けてきたからこそ「好き」なものを高め続けることができました。もし和歌を愛する奏ちゃんがいなかったら、誰よりもかるたの世界を知っていた肉まん君がいなかったら、チームの存在に心から感謝している机君がいなかったら、千早も太一も強くなることはできなかったでしょう。チームがいて、ライバルがいて、「好き」を通して関わった全ての人との絆が、千早を「ちはやぶる」の境地に至らしめたのですから。そしてクイーンもまた、千早とのかるたを通して成長していくはずです。「ちはやふる」で描かれている勝負は、「好き」を通した勝負なんですよね。「好き」自慢だと言ってもいいかもしれません。

そして、この2つの姿勢をどちらとも否定することなく「どちらもかるたを豊かにしている」という主張は、とても優しいメッセージだと思います。


③「好き」を伝え合うこと

新の情熱が千早を動かし、千早が瑞沢高校の仲間へ情熱を伝え、かるた部の面々から新へ「好き」が伝わる。そして、かるた部の面々から、千早から、新からクイーンへ「好き」の形が伝わる…。「好き」という気持ちを伝え合うことの尊さ、豊かさが炸裂していた名シークエンスでした。新が「からくれないにみずくくるとは」の和歌にのせて伝えた情熱が、再び新たに帰ってくるシーンは本当にやられましたね…。

この描写以外にも、上下通して「好き」を伝え合う場面は多くあるはずです。最も目立つのは奏ちゃんの和歌語りだと思いますが、肉まん君がかるたの世界にずっと興味を持ち続けていたことが分かる数々の描写や、机君のかるたへ向き合う姿、吹奏楽部の応援に至るまで、「好き」な気持ちを伝えること、「好き」なことを表現することはなんて幸せで、心を豊かにする行為なんだろうかと。



実写版「ちはやふる」は、かるたを軸にした高校生の青春を通して「好き」に関する物語を描いていたんだと思います。「好き」という気持ちと行動が他者に伝わり、「好き」を通して様々な人が繋がっていく…それは心や人生を豊かにするのと同時に、「好き」の対象そのものを豊かにするのだと。何かを好きでいる人にとって、なんて勇気の出るメッセージでしょうか。


「下の句」では、クイーン・キング決定戦の途中で物語は終了します。これは「ちはやふる」という作品が彼女達の青春を切り取ったものであり、この物語の終了が彼女達自身の物語の終了ではなく、今後も続いていく物語のほんの一編に過ぎないことを示しているのだと思います。「勝負」で終わるのではなく「好き」がこれからも続いていくという、素晴らしく豊かな幕引きであるなと。青春映画であるのと同時に、趣味そのものを肯定し激励する映画作品でしたよ…!



■超個人的な感想

面白い所

①役者アンサンブル

②クイーンというキャラ

③風景、天候描写


①役者アンサンブル

これは「上の句」でも散々書きましたが、今作でもアンサンブルしまくりでしたね。広瀬すずを筆頭にした瑞沢高校かるた部の面々は、とてつもない安定感と多幸感を画面から放ってくれます。どんな端役に至るまで、1人だけが悪目立ちすることは無く、その画面内にいる全員が輝き、全員がいてこその「ちはやふる」と言えるような、そんな稀有な作品になっていると思うんですよねぇ。


②クイーンというキャラ

普段はツンツン方言女王様なのに、好きなものを見ると声色から変わって反応してしまい、私服は超絶ダサい…。言わば今作のラスボスにも関わらず、魅力あふれるキャラクターでした。きっとかるたとあのキャラクター以外は何にも興味が無かったんでしょうね…。シャツインに肩掛け水筒ですからね…。

硬軟の演じ分けバランスがとても難しいと思うのですが、演じる松岡茉優の「本当にそういう人なんじゃないの?」と言いたくなるような自然な存在感で、地に足ついた人物になっていました。


③母校の名前とジャージが出ている

実は私が通っていた高校にもかるた部がありまして、かなりの強豪だったようなんです。恐らく撮影した年にも全国大会に行っていたんでしょう、ラクダ色のジャージが劇中にもバッチリ映っていました。「もしや…?」と思いエンドクレジットをじっくり見てみると、母校の名前が!私は全く関係ありませんが、嬉しかったですね。



残念な所

①裏切り描写

②吹奏楽部の演奏

③北央㊙本


①裏切り描写

前作でまとまったはずの瑞沢高校かるた部から、創設者である千早が離れていき、太一も在籍こそすれ心は離れていく…私は上下一気見をしたので、このチームへの裏切り描写は本当に辛くて…。一緒に戦おうと言ってくれた千早が1人で戦っている…机君や奏ちゃんの気持ちを考えると、居た堪れませんでした。

しかし、彼らにとっては千早の決意を応援こそすれ、非難する気は全く無かったんですよね…。その為の盛り下げ展開だと分かっていても、前述した通り客観的な視点になっているため、どうしても嫌なやつに見えかねない場面でした。


②吹奏楽部の演奏

これはTwitterでYU@Kさんが仰っていたので気になっていたのですが、指が動いてないんですよね…。場面としては「かるたに全く関係ない学校の面々が、かるた部を激励している」という上がるシーンなのに…。


③北央㊙本

もっと活用の場面を用意してあげてくれ…!名シーンと須藤の決断が…!練習の場面とかでもっとこう…!




「ちはやふる」という作品は「テンプレ邦画」「青春映画」だと思って、正直舐めていました。しかし実際上下通して観てみると、真っ当な姿勢で作られた漫画原作映画であり、役者陣の好演とアンサンブルが光る映画であり、「好き」を賛歌する映画でありました。言及しませんでしたが、劇中音楽もテーマソング含めて素晴らしく、音楽そのものが「ちはやふる」だと言って過言ではないと思います。特に「FLASH」は、様々なメロディが常に呼応し合い、一気に高まるその音楽は、チームや個人の青春と競技かるたを扱った本作にぴったりな曲でした。

去年の「俺物語‼」も日テレが主導になった映画作品だったので、テレビ映画と馬鹿にするのはもう時代遅れなのかもしれませんね。「俺物語‼」「ちはやふる」が地上波でバンバン流れる日が待ち遠しいですね!



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